ミャンマーのいま

ミャンマーのいまの状況を日本とミャンマーを繋ぐ形で伝えます

ティーローミンロー・パゴダでのデモ、チェインサー(真実語による呪詛)

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2月1日のクーデター発生後、1週間ほどで、ミャンマー市民は抗議デモを始め、連日全土でデモが繰り広げられている。ジェネレーションZがリードしていると言われるデモにはあらゆる要素が盛り込まれ、人々の智慧が総動員されている。そんな中、ひときわ目を引いたデモ行進があった。

2月18日のこと、2019年、世界遺産に認定されたバガン遺跡におけるデモであった。仏教遺跡を行進する千人単位はあろうかというその規模、長蛇の行列にも驚いたが、最前列を進む女性の頭上にはバナナやココヤシなどの供物が載っていた。これはミャンマーのナッの儀礼と関係があるのか? 気になって調べてみた。

 

7day daily によると…

デモはダベイフマウ・パゴダ(今ならCDM・パゴダとでもいおうか。ボイコットという名のついたパゴダがあるとは…)でまず祈りを捧げ、そこから、悪名高き王を民衆が倒したといういわれのある場所、ニュンレッタペッカンを通り、アロードーピェ・パゴダ(これも訳せばご心願成就・パゴダ)を回って、バガンで有名なティーローミンロー、アーナンダ―両パゴダ近くの村を通って、現存する往時の城門タラパー門にいたるというものだ。

 

アーナンダ―はバガンで最も美しいパゴダの一つと言われる。またティーローミンロー(傘が求むる王)パゴダは、王を選ぶのに傘蓋が倒れた場所にいた者が王になったとの言い伝えがある。このデモの趣旨は、ティーローミンローまで進んで、そのパゴダの前で独裁政権を打倒するための呪いをかけることにあるということであった。

 

その状況を捉えた映像があったので、チェインサー(呪いの文)の部分を聞いてみた。そしてその部分を訳してみると以下のようであった。

 

ブッダは礼拝されるに相応しく、我々は仏陀に礼拝したのは真実だ。

軍事独裁政権は私たちが選挙で選んだ国のリーダーから不当に権力を奪取したのは真実だ。

我々国民は軍事独裁の悪政を望まず、悲しみに打ちのめされ不安で苦しんでいるのは真実だ。

この真実語により、現在の軍独裁者は即刻落命し、無残な最期を遂げ奈落の底に転落しますように。この真実語により、ミャンマーの国民が切望する真の民主主義国家が一刻も早く実現しますように」

 

なるほど、真実語!ミャンマーでは仏教の真実語の儀礼が今また実践されているのか。

 

真実語とは「真実の言葉を発することによって何らかの目的、それも通常では実現不可能なことを成し遂げようとするものである。原則的には「真実」そのものの中に秘められていると信ぜられる力によってきわめて現実的な欲望を処理しようとするもので、この意味で呪術の一種である」と奈良康明氏は述べている。しかしこの真実語には呪いの側面だけでなく正の側面がある。

 

2月1日以前、ミャンマーでは平穏な日常があった。ただミャンマーも、新型コロナウィルスによるパンデミックに見舞われていた。そこで唱えられていたのがヤダナートウッというという護呪経であった。疫病にも効力があるとしてこの時期最も唱えられている護呪経である。

その「宝経」には最もパワフルな真実語が含まれていると言われている。簡単に言えば、このヤダナーというのは三宝にほかならず、「いずれの宝の中でも、仏、法、僧の三宝が最も尊く崇高である。この真実の言葉により、生きとし生けるものは健康で幸福であれ」と唱えるものなのである。

これは、仏陀存命中、ウェータリー国が三大災事(戦争、疾病、飢饉)に見舞われたときに、王のリチャビ王の求めに応じて、仏陀が弟子のアーナンダーに伝えたもので、3日間城市を回って唱え、それを聞いた天の神々がウェータリー国を災禍から守ったというものだ。

 

あるいは、ミャンマーでよく知られている10大ジャータカの一つトゥワナターマ(サマ)の事跡でも、毒蛇が吹きかけた息によって失明した両親を世話していたトゥワナターマが、王の放った毒矢に打たれて瀕死の状態に陥った時、「息子は両親を慈しみ世話した。私たちは息子を何よりも愛している。この真実語により矢の毒が消えますように」と祈ったところ毒は消えて、両親の眼まで見えるようになったとされる。そのような真実語にまつわる奇跡ともいうべき事跡は経典の中に散見される。その意味でこのチェインサーには、軍による暴挙からミャンマーを救いたいという切なる思いが込められている。

 

さて、全員による唱和は、さらに次のように続いた。

「我々にはすでにティー(傘蓋)もありミン(王)もいる。それゆえティーもミン(ミンアウンフラインのミンも同音)も必要ない。ティ-マローミンマローだ!

我々の王は誰だ? 『ウー・ウィンミン、ウー・ウィンミン』」(三回復唱)

 

なるほど、それでティーローミンローで真実語によるチェインサーを唱えることが選ばれたのか!! 

 

その後千人単位の行列がこのパゴダを通り過ぎ、シュプレヒコールを上げながら最終目的地に向かって行進していった。最後にはパガンらしく馬車による行列も続いた。(H)

 

https://www.facebook.com/liondragon.minn/videos/1876635865824570

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救急車と葬儀

救急車支援を含む、無料葬儀支援協会については、ここ数日激しい攻撃対象とされている。

ちなみに、ヤンゴンで最も有名な葬式支援協会である、「ヤンゴン無料葬儀支援協会」にも、3日夜間踏込があった。会長ウー・チョウトゥはこの時間に協会内にはおらず、拘束を免れたが、その後、「ウー・チョウトゥの発表」なるものが、Facebookで広範にシェアされた。ウー・チョウトゥは著名な映画俳優で、本協会を長年率いてきた人物である。

ちなみに、本物の当人の発表であるかについては、FBでも元をたどれないこともあり、違う可能性が高い。

けれども、この事件に関連付けて、多くの人の気持ちを代弁して投稿されたものととらえることができるかもしれない。

 

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ウー・チョウトゥからの発表

我々、無料葬儀支援協会から発表した軍警察関係者の葬儀支援は行わないという掲示にお怒りになり、2021年3月3日夜間に本協会に暴力的に踏み込まれたこと、心より遺憾に思っております。

 

従いまして、本日、発表を修正し、再度公表させていただきます。

今日から一週間のあいだ、軍、警察および、関係者各位さまに対し、生死を問わず、葬儀サービスを提供させていただきます。ご不興のほどお納めいただくようお願いするとともに、堅くお約束いたします。

 

本日から、軍、警察の皆様、そのご家族ご親戚の皆様一人残らず、生死を問わず、深い穴への土葬、あるいは、強い炎による火葬など、いかようにも葬儀を執り行わせていただきます。

 

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また、生死を問わない葬儀、というのも日本の感覚だと、厳しい印象を持つが、例えば、生きている国軍司令官の写真を墓地の墓石に貼るという抵抗行為が含まれる。

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国軍司令官の顔写真が貼られた墓石(場所不明)

 

女性の民族衣装(タメイン)の力

最初の写真は、3月3日、ヤンゴン市アウンサン将軍通りで撮られたものである。

女性のスカート風の民族衣装をタメインと呼ぶ。古いタメインに国軍司令官の写真を貼って、通りに干されているところである。

一見すると、何のことか理解しがたいかもしれない。

しかし、ミャンマー、とくにビルマ仏教徒にとって、女性の下着等は汚れを有すると認識され、他方で武器にもなる。とくに男性が有していると信じられるポン(威徳)を喪失させるのに有効だと考えられている。

このタメインに張られた司令官の写真は、市民の怒りも示している。

 

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DVB 20210304

(DVB 2021/3/3)

https://www.facebook.com/DVBTVNews/posts/4091745510863918

下の写真は出所は不明。

軍隊のトラックの上にタメインが干されているのを一生懸命外そうとしている。男性は、女性のタメインの下をくぐると、威徳が弱まると理解されているので、ここはなんとしても、外さねばならない。

 

https://scontent.xx.fbcdn.net/v/t1.15752-0/s206x206/156510965_249225360079474_240769027117731203_n.jpg?_nc_cat=110&ccb=3&_nc_sid=58c789&_nc_ohc=fhpnoFGdZFcAX8_ZBbO&_nc_ad=z-m&_nc_cid=0&_nc_ht=scontent.xx&tp=7&oh=87fc69626ffa9d71ab16005513a9b295&oe=60656977

救急車や救急活動

デモを行っている人々の脇に、救急マークを付けた人々が寄り添っている。また、負傷者の運搬のため救急車が入ってきて、人々が道を開ける。

 

こうした救急隊員や救急車はミャンマーのかなり広い地域で普通にみられている。医療関係者はCDMをやっているのでは。。と疑問に思う方もいるだろう。

彼らは公務員ではなく、奉仕活動の一環として働く一般市民である。

 

28日以降、国軍、警察は、本格的武力弾圧をはじめている。

たとえば、3月3日は全土でデモ隊への武力鎮圧が行われ、これまでで最悪の被害者数となった。現地メディアによれば38名が死亡したという。

このところジャーナリストに加えてこうしたボランティアの救急隊員が、警官側のターゲットになっている。3日、ボランティア車両に乗る救急隊員3名を呼び止めた。警察が無抵抗に座っている3名に対して、小銃の銃身などで激しく殴ったり蹴ったりするさまが防犯カメラに映されていた。この映像はFBなどにアップされ、広く共有されている。

 

また、3日夜半11時頃に、有名なヤンゴン無料葬儀支援協会(Free Funeral Service Society)に多数の警官が押しかけ、30名ほどの関係者がいるなか、物資の没収、一部関係者の連行などを行ったことがRAFで報道されている。

 

(RAF 2021/3/4)詳しくは以下のサイト

https://www.youtube.com/watch?v=J8catTIpCQg

3月3日

33日、日本ではひな祭りの日だ。

 

女の子の成長を願い、祝う日。

 

だが33日にミャンマーでは女子2名の尊い命が国軍と警察によって奪われた。

 

Kyel Sinさん(19歳)と

Kyewt Nandar Aungさん(26歳)だ。

 

茶色に染めた長い髪と素敵な笑顔の持主であるKyel Sin さんはマンダレーで親の代から経営していた美容院を引き継ぎ、学校が休みの期間には美容師をしていた。一人っ子のKyel Sinは、父親ととても仲良い、いわゆるファザコンかもしれない。父の白髪染めは彼女がいつも担当した。2020年総選挙には彼女が成人として人生初の投票をした。(ミャンマーでは18歳以上が有権者だ。)

 

真っ赤なロンジを身にまとい、父と一緒に投票場に行って投票した。投票が終わると二重投票防止のため小指にインクをつけられた。彼女はインクが付いた小指を見せながら父と一緒に誇りげに写真を撮ってFacebookにアップしていた。

 

コロナで大学は休校だし、彼女は美容師をやりながら、テコンドクラブに入りテコンドとヒップホップダンスを合体したスポーツダンサーもしていだ。歌うのも好きで自作のミュージックビデオをソーシャルメディアに投稿したりもした。とにかく人生を楽しんでいるどこにでも居るような19歳の女子だ。

 

202121日に国軍がクーデターを起こし、国家権力を掌握した。ウィンミィン大統領、アウンサンスーチー国家顧問を始め2020年総選挙で圧勝した国民民主連盟の幹部議員らは国軍に拘束された。

 

クーデターのニュースを聞いて彼女はびっくりしたに違いない。そして、自分が投票した票は奪われたんだと、自分の権利が奪われたんだと思ったのだと思われる。

 

21日以降から軍がいくつもの法律を出して取締りを強化した。まずインターネットが遮断された。2日経ってネット回線が回復したが、今度は夜間禁止令を出した。クーデターを起こした軍に抗議する動きとして全国一斉に、夜8時に自宅で鉄鍋を叩く運動をしたが、それも止めるようにと地区長から注意された。地区長の注意を無視し、皆は鍋叩き運動を続けていた。医者たちが不服従運動を始まるとその医者たちを逮捕しようとした。その後他の公務員も不服従運動に参加した。インターネット回線もしばしば遮断された。街の中に戦車が入り武装した兵士が町中を徘徊し地域住民を脅かした。

 

軍事政権下の暮らしとはどれほど息苦しいのか、彼女は2週間ぐらいで理解した。せっかく自分で投票した政権を奪回された若者たちは、クーデターに対して抗議をはじめた。彼らを Z世代とも呼ぶ。ミャンマー民主化移行期間に生まれ育ち、デジタル機器を使いこなせる、グローバル世代でもある。Z世代は平和的で民主主義に相応しい市民として、抗議のやり方にいろいろと工夫した。世界の関心を惹こうとコスプレしたり、面白い文面のプラカードを持ってデモ行進した。

 

だが、軍はネーピードでデモ隊に向けて実弾で発砲し19歳の女子が脳死状態になり、1週間後に死亡した。軍は武器を何も持ってない民間人に向けて実弾で発砲するんだ、酷い奴ら、こいつらに国を任してはいけない、俺らの未来をこいつらに託せられない、今もいろいろな取締りで、これまで当たり前にやっていたことができなくなって未来がなくなったような喪失感をZ世代の子たちは抱いたのだろう。実弾発砲があっても一歩も引かず軍から国家権力を取り戻すために平和的抗議活動を続いた。

 

軍の取り締まりも徐々に激しくなり、20日にマンダレーで平和的抗議活動している人々に向けて発砲したため2名死亡し、多数の負傷者が出た。負傷したまま逮捕され、治療せず刑務所内に放置されて死亡してしまった人もいた。

 

28日も住宅街へ軍と警察が入り、買い物に出かけた女性が頭部を近距離で狙い撃ちれ亡くなった。軍と警察は無差別テロとも言えるぐらい無法な状況で人を射殺している。

 

だからと言って、恐怖を感じてこのまま黙っていたら、一生軍事政権下に暮らす、制限された味気ない日常となるだろう。228日以降もマンダレーでは平和的抗議が続いた。

 

Kyel Sinさんも平和的抗議に参加していた。銃で撃ったれるかもしれないし、鉄棒で殴られるかもしれない、拘束されるかもしれないがこのまま黙っていられないのでデモに参加したのだ。父は心配だが、Kyel Sinの意思を尊重してデモ参加を許可した。抗議デモに行く娘の腕に赤いスカーフを巻いてくれた父に感謝を伝え、記念に写真撮ってFacebookに投稿した。

 

父とのツーショット写真だけではない。Kyel Sinさんは自分のFacebookに、万が一自分が死んだら臓器移植が必要な方々へ臓器提供するようにと、ある種の遺言のようなものも書いて投稿し、連日デモに参加していた。

 

33日はマンダレーで座込みデモが行われた。Kyel Sinさんも最前列に座り込んでいた。警察と軍は座込みしているデモ隊に催涙弾を投げ込んだ。催涙弾が投げ込まれたらコーラで顔を洗うと良いとネットで学んだので、Kyel Sinさんは手にコカコーラのペットボトルを持っていた。軍と警察は催涙弾と発砲を繰り返した。

そして、最前列の人々に向けて実弾で狙い撃ちした。Kyel Sinさんは頭を狙い撃ちされて倒れた。

 

頭部を狙い撃ちされたKyel Sinさんを病院に運んだがすでに息を引き取っていた。臓器提供意志はFacebookで投稿されていたが、戦場のような状況下で負傷者の治療が最優先とされ、残念ながら、Kyel Sinさんの遺体はそのまま家族に引き渡された。

 

父親はKyel Sinの変わり果てた姿を見て涙も出ないようだ。投票日に着ていた真っ赤なロンジーで棺の中で眠っている愛娘をずっと見ている。

 

 説明がありません

(写真はKyel Sinさんのお葬式のもの)

 

Kyewt Nandar Aungさん(26歳)の情報は今調べているところで、今回は紹介できない。

 

33日にはヤンゴンマンダレー、モーラミャイン、マグェー、ミンジャン、カレイにデモ鎮圧を理由に軍と警察が激しい武力行使をした。ミンジャンでは14歳の少年が頭部を実弾で狙い撃ちされて死亡し、これまでの犠牲者の中で最年少だ。まだマグェーでは19歳の男性が銃撃によって犠牲となった。彼は2019年の全国統一高校卒業試験で優秀科目を5つ取り、マグェー管区全体に8位の成績で合格した優等生だった。

 

33日の犠牲者は現時点で確認できた死亡者は男女合わせて18名だった。全員銃撃されたのだ。負傷者は各地で多数出ていたがその数を現在集計しているところである。

 

軍はクーデターで国家権力を奪い、人々の自由を奪い、国民の未来と夢を奪い、親から子を奪ったのだ。

 

もはや、軍、警察とも言えない。彼らは武装集団だ。

少年から国連への質問

"How many dead bodies needed for UN to take action?"

 

"国連が行動を取るためにどれぐらいの遺体が必要ですか?"

 

 

 

少年は手書きのプラカードを持って2月20日の夕方から夜7時半までヤンゴンにある国連事務所の監視カメラの前に立っていた。

彼なりの意思表明だ。

 

21日に国軍がクーデターで政権を掌握してから医療従事者をはじめとする公務員が不服従運動を始めた。不服従運動は徐々に広がり、教員、銀行員、鉄道職員も参加し、電力・エネルギー省、建設省社会福祉・経済・再定住省、外務省、運輸通信省など国家運営に必要不可欠な省庁の職員が不服従運動に参加するようになった。デモは全国的に広がる中、軍はデモ鎮圧のため軍人を各地へ送ったり、戦車を移動させたりなど大急ぎで配置変えを行った。顔見知りのいない、地域への愛着がない他地域の軍隊に置き換え、抵抗感なく地域住民へ武力行使させることが狙いだと考えられる。そういう状況下では、移動手段として鉄道、船舶を使うのが効率的だが鉄道職員も不服従運動に参加した。軍が強引に列車を運行させようとしたが、鉄道職員や市民らが線路に寝転がり、楯となったため、運行できなくなった。鉄道が使えなくなったので国軍は水路利用を決めた。


2
20に軍隊と警察隊がミャンマー第二の都市であるマンダのゴーワェン港にやって来た。ゴーワェン港に停泊している船を運航させようとしたためである。だが、造船所職員らは不服従運動中を主張し、固く拒み、船を出すことを拒んだ。軍隊と警察が造船所職員に暴力を振るわぬよう、造船所近辺に住む地域住民が周辺を囲み、軍隊と警察に対して、出て行くように、鉄鍋や鉄缶を叩きながら叫んだ。

 

軍はその状況を鎮圧しようとデモしている群衆に向かって発泡した。デモしている人々は逃げ回り、逃げた人々を軍人が追いかけ、ゴム弾、実弾で発砲し、鉄棒で殴ったりした。人々が逃げ回る中、負傷者を運ぶために来た救急車にも軍が発砲した。軍の実弾発砲により現場で2名死亡し、その他多数の負傷者が出た。


ソーシャルメディア
時代だからこそ、ミャンマー国内だけでなく海外にいる人間も、デモを行う人間に対して、警察と軍が武力行使ている様子、慌てて逃げ回る非武装の市民に対してまるで戦場にいるかのように射撃しながら追いかけて行く兵士の様子、実弾で撃たれた怪我人を僧院の中で医者が救急手当する様子を見ることができる。ミャンマー国民は怒りと無力さでやるせない気持ちであふれている。

国連事務所の前でプラカードを持って立ってた少年もやるせない気持ちであふれかえり、自分が出来ることをやろうと国連に助けを求めたのだろう。

マスクをつけて帽子をかぶっているため少年の顔は見えないし、年齢もわからない。しかし、体型からみてまだ20歳前後だと思う。少年の隣に自転車が見えるため少年は自転車に乗って国連事務所へ飛んで来たのかもしれない。懐中電灯を持ってないためスマホの画面を懐中電灯の代わりに使うことでプラカードの文字をはっきり見えるように工夫している。まさにいまのスマホの使い方だ。


少年は国連にどんな行動を取って欲しいのだろう。

 

プラカードの文章をそのまま読むと少年は国連に対して質問をしているのが、彼はもし、遺体が必要であれば自分の命を差し出すと言ってるようにも感じられる。


この写真がソーシャルメディアで広がり、翌日には""How many dead bodies needed for UN to take action?"と書いたプラカードを持ってデモ行進する人々も多数いて、その様子を時事通信が写真に収めて、PRESIDENTが記事にした。その記事がこれである。

https://president.jp/articles/-/43605?page=1


おそらく少年の質問は日本の読者にも届いたのだろう。

 

少年がそのプラカードを持って国連事務所前に立ってから10日以上経ったがミャンマーの治安が悪化する一方である。デモ行進する人に対して武力行使が当たり前のようになり、治安目的とは言え、そのやり方は残酷すぎる。228日にはンマー  各地にデモが行われたが警察と軍は武力行使を過酷なまでに使用し26名が命を落とした。


もう充分ではないのか?国連と国際社会は軍を非難する声明文を発表するだけだとミャン国民は報われない。

クーデターと不服従運動

国軍が全権掌握に踏み切る際に出された理由としては、2020年の選挙に不正があったというものでした。ミンスェ副大統領が、1年を期限とする非常事態宣言を発表、憲法419条に基づき、ミンアウンフライン国軍司令官に、立法、司法、行政の国家権力を移譲しました。これに基づき、ミンアウンフライン司令官を議長とする「国家統治評議会」が設置され、元の閣僚はほぼ解任となり、新たな閣僚人事が発表されました。

 

こうした状況に、現地ミャンマーでは、まずは唖然としたという反応でしたが、二日目からは夜間に鍋や缶を叩く抗議行動が始まります。医師の呼びかけで「不服従運動(Civil Disobedience Movement)」を開始、まずは7つの病院で公務をボイコットし、医療従事者に参加を呼びかけました。当初これが赤リボン運動として、より広い職種の公務員の職務ボイコットに結びつくにつれ、広くCDMと呼ばれるようになりました。

2月7日からは都市部を中心にデモが始まり、瞬く間に、CDMとデモが全土に広がっていきました。2月22日は、年を含めると2が5つ並ぶことから、8が4つ並んだ88年のデモにちなんで、最大規模のデモが行われました。

一方、デモの鎮圧も行われており、2月28日には22人が死亡したと伝えられています。